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神について



個人的には神について論じるのは好きではない。神について何か言えば神を制限する事になるからだ。神に制限はないから定義する事もできない。多くの人が神を定義しようとしてそれぞれの見解が作る。(しかし誰も真実を知らない)

神は私たちが定義しうるもの以上のものだ。私たちは知性を使ってそれを説明しようとしているが、それは知性という意識世界よりはるかに広いものである。

私たちが話したり、書いたりする場合、私たちは知性の範疇にいる。だから私たちが神を説明することは、説明できないものを説明しようしているに過ぎない。その場合、私たちの言葉(説明)は私たちの想像や感情に色づけされる。

上記の事を全て分かった上で、“私”(これも説明できない)に繋がれば、神についてもっとよい理解ができる。知性の範疇にいるときよりはずっと神を体験できるからだ。しかしそのような体験を説明することはまたできない。

なぜ、静かになってあなたの内側へ入ると神をもっと知ることになるのか。この物質次元は知性によって作られている。時間、空間、二元性世界(次元または現実)は知性によって常に創造され続けている。知性は素晴らしい想像力を持つ。何もないところ、または静寂から物を生み出すだからあなたが注意を静けさへと移したとき、知性はそれに耐えられず力を失う。時にうるさくして(考え、イメージ、音など)戦いを挑むだろう。
もし注意を無(完全な静けさ、イメージも感触も匂いもない)に向け続ける事ができたら、知性はその足場を失い、消え去り、制限が消える。すると本当のあなたがもっとよく見えるようになりもっとよく、もっと近くに神を感じる事ができるようになる。

現実という錯覚が姿を消し始めると、真実、真の神との結びつきを感じ始める。しかしまた知性の次元に戻ってそれを説明しようとしても、やはりできないのだ。なぜなら知性は制限と共にあるからだ。その制限はあなたの中の完全な静けさで消し去る事が可能だ。

そのような経験をすると神についてもっと分かるようになる。しかしその体験が深ければ深いほどそれについて語る気がしなくなる、なぜなら通常の経験の範囲を超えたものを説明するのには言葉だけでは足りないのだ。

ポーランドのことわざ:「話すことは銀、沈黙は金」