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光の感じ方
この物質世界に対応した表現をするなら、光は、最高レベルの波動体と言えるだろう。ほとんどの人がいつも感じるわけではないにしろ、人間は全ての波動を感知できるようになっている。人体の全てが波動でできており、波動の影響を受けている。
光が感覚(有形、または無形)で感知される時、人体はその使う感覚によって、感じ方も、解釈も異なる。受け取り方の強さ、その人の信念、知識、知恵によってそれぞれ光の表現方法は異なってくる。下に掲げる感知感覚の強度は人によって異なり、十分強くなければいけないということではない。
まず始めに、感覚が、十分な強さで光を感じないと、はっきりそれだとは分からない。よくある特長の一つは(どの感覚が使われ、どれくらいの強度かにかかわらず)喜びの感じである。
光を感知する感覚器官を以下に述べる:
そのような、また似たような方法で、感覚は光を解明する。ではあなたはこう聞くだろうか:本能はどのように光に反応するのか。その反応はもっと単純だ。本能は知性がするような解釈をしない。境界を作らないのだ。本能は感受性で反応し、そんな状況の中で人は無条件の愛(=神の愛)を経験する。もしあなたが、愛を感じて経験した最も素晴らしい恍惚感の瞬間(他の誰かと誰か結ばれた時であっても、肉体的存在ではないものとそうなった時であっても、臨死状態にあった時、瞑想時またはその他の時であっても)を思い出せるなら、本能が光にどう反応するか分かるだろう。視覚
(人が想像できるもののうちで)最も強烈な光現象。
白銀金の光を放つとても強い輝き(まぶしいものではない)。目が光を捉えるはじめの段階で、色とりどりのきらめきが現れる。
聴覚
(人が想像できるもののうちで)最も素敵な音。
ナディ(nadi)または「天界のコーラス」、「天使の歌声」、マントラオームなどと呼ばれる。耳が光を捉えるはじめの段階では、しばしhum(ブンブン鼻歌)、whiz(ヒュー、ピュ−)、buzz(ブンブン、ガヤガヤ)と表現される(心地よい)音を聞く。
触覚
(人が想像できるもののうちで)最も快い感覚。
(オーガズムよりもずっと気持ちの良い)例えられないほどの温かさ、安らぎをもたらす。触角が光を捉えるはじめの段階では、振動の波が体を流れる(心地よい震え、興奮)とよく表現される。
味覚
(人が想像できるうちで)最も嬉しい食の経験をさせてくれる。
「天界のネクター」、マナ(manna), am(a)rita, 蜜とも表現される。味覚が光を捉えるはじめの段階で、ほんのちょっとの食べ物を口にしただけで気分がはっきりと変わる、「エネルギーのほとばしり」を感じる。長いこと断食をしている人や不食の人は、そのような感覚をよく理解できるはずだ。
嗅覚
(人が想像できるうちで)一番の香りをもたらす。
バラやらベンダーの香水のように。嗅覚を用いて光を感じるはじめの段階でさえ、香りはとても強く離れたところからでも、または壁の向こうからでも匂いを感じとることができる。
以上の説明でこう結論づけられる。愛は光である──と。
もっと正確にいえばこうだ。
愛は、感覚が光を感知する時に、人が感じる全ての感性であると。
光は最も強いエネルギーであるから、それを感じそのエネルギーを取り入れることで、リビングオンライトは現実のものになる。
光についての考えから続いて言える事は、愛は生命を創造するということだ。つまり、生命は最も強いエネルギーである愛から出現した。愛のない創造、生命の存在は不可能である。同時に愛が多いほど、その命は幸福なものとなる。
無条件の愛で愛するものは全て、光を放ち、光で生きる。光がその生命を通して現れるのだ。その存在は食べる必要も、飲む必要も、息をする必要もない。この世(物質世界)から得たいものは何もない。そして回りの生命たちにとっての太陽となる。
そしてまた、愛を十分に放つ存在は不死が可能になる。十分な愛(=光)が心から放たれると、肉体はその機能を止めることができなくなる。つまり、体は若いまま、美しいまま、完全な健康状態になる。反対に、愛の欠如(=恐れや恐れが引き起こすマイナスの感情)は体のエネルギーを奪い、病気、老化、そして死をもたらす。
愛があなたを通じて流れ出るような太陽になりなさい。
あなたがそのような太陽であると、心の中でビジュアルに(映像として)思い浮かべるだけでいい。そうすれば、不食生活はもっとはやくあなたのものになる。