時間と知


時間は知の産物である。もっと正確に言うと:知が存在するために生み出されたものだ。知は私たちが感知している時間と空間の中だけの存在であって時間や空間がなかったらお役御免だ。よって知は空間においての断続的動きが必要になる。


知は何をするのか。問題を解く、答えを得るために問題を投げかける。その行為をするために時間というものが必要になる。


もし時間というものを体験したいのなら、未来または過去にいようとしてみればいい。そんな事はできないと分かるだろう。それらは、知が生み出した定義に過ぎない。存在の100%が「今」にあり「今」には時間というものはない。なぜならあなたが「今」を思う瞬間も、もうすでに過去のものだからである。


時間というものは存在しない。時間の中にいることはできない。なぜなら私たちはいつも「今」「ここに」いる。知を用いる限りそれは変わらない。しかし、知を脇へやると「今」「ここ」以上の体験ができる。そんな体験は、時間も空間も関係ないところで起きていると感じる事ができるだろう。知は進化過程の極めてわずかな段階のものだからそのような事を理解する事ができない。時間や空間を完全に理解するためには、直感の世界にまで自分を成長させる必要がある。直感は、質問に答えるのに「時間」を費やさない。情報をつむぐ必要がないので問題が生じたときにもう答えは出ている。実際直感には問題も答えもない、そこには二元性(明るい−暗い、高い−低い、強い−弱い、好き−嫌い、寒い−暑いなど)がないのだ。

 無論、本能−知−直感の三位体はとても面白いテーマである。