ブレサリアリズムに関する他の見解

不食、ブレサリアリズム、リビングオンライトは必ずしも食べ物に関しているものではない。食べようが、食べまいが、それは2番目のことだ。食べてもブレサリアンといえるし、全く食べなくても、ブレサリアンといえないこともある。

最も重要なこと:

_組織が自然の状態にあること
_頼らないといけないものがないこと

組織は私たちが「物質世界」と呼ぶ波動域で体験をするための道具として働くものである。もしあなたのそれが本来の状態(完全に機能している)であるなら、あなたは最大限の体験が出来る。しかし、どれかが完全に機能しきっていないと、あなたの体験は限られたものになる。

組織の一つは消化器官だ。もし消化器官がないと、それに関する体験が出来ないだろう。口に入れたときの味、硬さ、温度、又、ゴロゴロ感、おうど、下痢、痛み,潰瘍など消化器官で動いたり、たまったりする感覚。その他いろいろ。

もし人に消化器官がなかったらその人は身体障害者のようであろう。つまり普通のまたは良い生活を営むことはできるが、そのない部分を使っての経験ができなくなる。

ほとんど100%の食べたものが排出される理由はこれである。経験し終わったら、もう必要ない、組織を作らない。

この物質界を体験する組織はまだいろいろある。音と私たちが呼ぶ波動もその一つだ。そのほか匂い、光など。

組織は適度に、または過度に使用可能だ。かなり長い時間、過度に使うと、その人の感覚はもうそれなしでいられなくなる。たとえば、コンピューターゲームを数分間でさえやめられない人たちがいる。彼らは見ることに耽溺している(組織:目)。同じようにタバコをすうのを止められない人、彼らは匂いに耽溺している(組織:鼻)。同様に、ラジオを聞かずにいられない人、寝る時でさえついている(組織:耳)。

そして地球上で最も親しまれている嗜癖、味わう(組織:消化器官)。

まとめれば、嗜癖とは、ある組織を過度に使わずには生きられないと感じ、信じることである。
嗜癖を持ち、それが突然取り去られると、その人は苦しみ、最悪の場合、体の機能が止まる(死ぬ)。

組織がどんな嗜癖からも自由になるとき、最大の波動を経験できる道具として完璧なものとなるそうなれば生きるために食べるという必要はなくなる。

つまりあなたの体は嗜癖から自由なため、食べるも食べないも自由になる。クッキーを食べることを選ぶなら食べるという体験をするためにそうする。その体験がしたくなければ数日、数週間、数ヶ月、あるいは全然食べないということも自由に出来る。だから、極端に言えば、たくさん食べ、たくさん飲むブレサリアンもいるといえる。

なぜいわゆる「霊的指導者」が食べ、なぜ私たちに消化器官があり又地球上にはたくさんの食物があるのか、そして最後に、なぜ何も食べずとも完璧な健康状態で生きていられるのか、これで分かるだろう。

もっと詳しく説明するには、意識世界について話したいが、それは又別の、かなり長い主題である。

リヴィングオンライト、ブレサリアリズムはあなたのもつ意識世界を広げる一つのステップである。