道具を使うことによる経験



「光で生きる」、「ブレサリアリズム」、「不食」、呼び方は自由だが、基本的にこれらは食べものにこだわっているわけではない。あなたが食べるか、食べないか、食べたとしてそれがどれくらいか、それは二の次のことだ。食べててもあなたはブレサリアンと言える場合もあるし、全く食べなくても、ブレサリアンとはいえない場合もある。

大切なことは:
1.組織が本来の機能を保っていること
2.何にも依存していない状態であること
組織は、「物質世界」と我々が呼ぶ世界の経験をするための一種の道具である。もし、それらの道具が正常ならば(完璧に機能しているなら)この上ない経験を得ることが可能だ。しかし、それらのうち一つでも上手く機能していなければ、経験は限られたものになってしまう。

道具のうちの一つは、消化機能だ。もし、消化機能というものを持っていないとしたら、それに関わる経験ができない、例えば、口に物を入れた時の味、固さ、温度を感じたり、消化器官の中でそれらが動いたり、ストックされたりする感覚、例えば、ゴロゴロ鳴ったり、吐き気を催したり、下痢、痛み、潰瘍、などなど。

これが、食べたもののうちほとんど100%が排泄される理由である。経験後は、もういらないということだ。あなたの組織を作るわけではない。

物質世界を体験する道具はまだまだある。それらのひとつは音、と我々が呼ぶもの、その他、香り、光、などなど。

道具は、普通に、または、過度に使われる。それらを長く使いすぎると、我々の意識はそれらなしで生きられないと思い始める。例えば、コンピューターゲームをやめて数分もいられない人たちがいる。彼らは、見ること(道具:目)依存症だ。タバコをすわずにいられない人達は、におうこと(道具:鼻)依存症。ラジオ、寝ている時でさえ、聞かずにいられない人達は、聞くこと(道具:耳)依存症といえる。

そして地球上で一番の依存といえるものは、味わう(道具:消化器官)ことである。

要するに、依存とは、ある道具を過度に使わずにはいられないという、その人の感覚と確信である。ある人が、何かに依存していて、そのものを失った時、その人は、苦しむ。極端な場合、身体の機能が停止する。(死)

あなたの組織が何にも依存していない状態になって初めて、最大の体験ができると言える。そんな状態の時、食べることは、経験するためであって、「生きるために体は食べものが必要」というわけではないのだ。

そのように、体が食べることから自由になれば、食べても食べなくてもどちらでもよくなる。クッキーを食べることを選ぶのは、それを楽しみたいからであって、そんな体験をしたくないなら、何も食べたり飲んだりせずに、数日、数ヶ月、数年、またはずっと、いていいわけだ。そんな状態にいれるなら、ブレサリアンと呼べる。

これらのことが、いわゆる「霊的マスター」が食べる理由、我々が消化器官を持つ理由、この地球に食べられるものがたくさんある理由、そして最後に、全く食べものを摂らずに、なお身体は完全な状態にある人たちがいる理由である。

もっと詳しく説明するには、意識世界のことを言及したいが、かなり大きい主題なので、別の機会にする。

光で生きる、ブレサリアリズムは、あなたの住む世界を拡げる、ひとつの段階である。