愛と不食



戦いと戦う人は相互作用している。つまり、戦いのあることろに犠牲がある。もし自分の体又は心又は魂と戦ったら、何が犠牲になるか。体か心か魂か又はその全部だ。言い換えると:愛に欠けた行為には苦しみが伴う。

これはつまり、もし何か目標を持ち、愛を持たずにそれを目指したら、遠回りになる、より難しくなる、より大変な経験をすることになるということだ。

私たちの選択は無限にある。だからこそ様々な人生がありどれひとつとして同じものは無い。もしまっすぐにゴールに着きたいなら、愛の旅を始めよう。愛は私たちの本質、根源、原始の元である。

つまり、まず自分自身を見つけるいうことだ。自分が見つかったら、愛が見つかる。そうしたら何が自分にとって一番なのか分かる。自分にとって一番の方法がわかる。そこに戦いは無い、犠牲も無い。苦しみも無い。もうすでにゴールにいる。1番自然なやり方だ。

苦しみたくないのならまず、自分自身を見つけることだ。愛であるあなた、最も美しい光を。もし本当のあなたの真実を知れば、ブレサリアンについて一かけの情報を得ただけですぐに完璧なブレサリアンになれる。浄化、食事法、食制限の必要はない。繰り返す:まず、神をつかむ、そうすれば他のものは自ずとやってくる。

あなたの意識が完全に広がれば、あなたが愛であるという認識が可能である。よってゴールへの道はあなたのいる意識の世界を広げることにある。このことに集中すれば、ブレサリアンになること、また完全に光のみで生きることは別効果として現れ、骨折ることなくその生き方が手に入る。

決まり、食事法、食制限などに悩まされる必要はどこにもない。違う風に経験したいのならもちろんやったらいい。よくある方法、又は最も危険な方法でさえあなたが選べる。また、他の人たちの言うことやアドバイスすることを信じてもいい。しかし、それらはあなたが本当に欲しているものをもたらしはしない、悩みは消えない、依然として何かを探している・・・あなた自身をあなた自身の愛を。そのような生活を続けていると体は年をとっていく。そして、終わりに近づく。愛のないところに現われる死。愛、戦いのない全てを持ち備えたあなた自身を探しなさい。そうすれば、もうあなたは完全なるブレサリアン、光のみで生きれる。

さて、どこから始めてどこへ向かうか。まず、私たち自身、体、心、心理についての分析を始める。それらをよく見、感じ、愛し、自由にする。決して戦わず、いつもそれらに必要な愛を与える。自分自身を発見するというプロセスは知性というより、もっとずっと直感を要する。真のあなた、光、愛を感じたければ知性のスイッチを切りなさい。

また、他の人にとってのいい人になる必要はない。他人があなたに求める行動をする必要はないあなたは自由であって、奴隷ではない、他の人の興じているゲームにあなたも惑わされることはない。あなたは自由な光の存在、純粋な愛。それがあなたに求められる唯一のこと。

もし愛であるあなたがその光を放ち始めたなら、あなたはもう何も必要なくなる。他の人もあなたから何もほしがらない。愛の感覚が、あなたとあなたの周りにいる人が欲する全てを満たすからである。

人は、そして数え切れないほどの生物は食べずに長いこと生きれる、ブレサリアンになりえる。しかし、完全に光のみで生きない場合、体は老化し、死を迎える。なぜなら命は意識と愛あって初めて存在するからである。生命はその本質に愛がある、それは純粋意識である。決めごと、食事法、手順、方法などは全て知性(自由意志)が作り出すもので、私たちを連れ去る。意識的にまたは無意識に、何をするかどうするか私たちはいつも選択している。選択はあなたのものであり、それはいつも正しい。なぜなら経験もあなたが決めてゆくものだから。